とてもむなしい。

自分の生活を確立するために、やってきた様々な努力。
横浜の街を歩いてみる。幸せそうな二人組、家族が笑っている。クリスマスコサージュや、聖歌、暖かい歌詞の歌がみんな自分に向かって突き刺さってくる。
針の蓆の上、燃える炭の上を歩いているようで耐えられなかった。
努力しても、努力しても・・・得られるものは本当に小さな、刹那的な満足だけ。心にしみいるような幸せはどんなに小さなものすら得られなかった。そんな生活を2年以上続けてきた。


もし、は禁句だけれど、あえてもし、あの事故がなかったら。そして私がもう少しだけでも賢さを持っていたならば。あの事故が無くても自らの愚かさに気づいていたならば。私の歴史は違っていた。
あんなにTragicな事故、そして後遺症を持つようになってやっと気づいた。そこまで行くまで気づかなかった。


無意味だからこんなことを考えるのは辞めよう。悲しさが否応なく増すだけだ。


あの事故は私の人生の転機であった。
苦しい人生を強いられるようになったこともそうだが、逆に深く考えるきっかけとなった。そして自分自身の行ってきたたくさんのことの愚かしさに目がくらむ思いがした。


私はまだ、それを知って目がくらんでいる。まだ、完全に立ち直れてなんかいない。
いや、立ち直るというのではなく、新たな人生を生き直すことが出来ていない。・・まだ・・・
しかし近いうちに立派に胸を張って生きられるようになれるかな、と感じている。冬が終わり、新たな萌芽を迎えるように。そして春の陽の中に少しずつ育っていくように。


人は、考える葦である、と言った人がいた。
考えることが出来るから、人は成長できる。どんなに堕ちることがあっても、再起することが出来る。人の心の中には、普遍的な琴線があるから。