薄給で暮らす技と寂しさと過労と・・・


食費を削る、服は買わない、車は持たない、これだけで結構違う。
私が同年代、又はそれ以下よりもぜーんぜん安月給なのは簡単な理由で、欠勤続きだったから。しかしその欠勤だって元はといえば過労で不眠症から鬱になったのが始まりじゃないか。3日眠れず、そのあと眠ったら出勤することができなくなった。そして某メンタルクリニックを初診。パキシルというダメ薬をたくさん飲まされて、引きこもってた。


何も、あたまをぶつけたことで神経内科にかかりはじめたわけではない。今の所は言ってみれば「脳神経内科」かな。脳外科で紹介されたところだし、お薬手帳を見ても診療科は毎回「内科」になってる。医療費節約と節税のために精神科的な手続きをしているだけであって。


それを逆手にとって「手帳を持ってるから、便宜上正規雇用だけど障害者の枠に入れさせて欲しい」とか言うのが会社。「嫌です」と即答。一定の割合の障害者を雇う義務があるらしいのね。「どうしてもと言うなら手帳は返納します」って言いました。


ことの始まりを考えると悲しい。労災の裁判やろうかな。
過重な残業と深夜勤務の証拠は押さえてある。訴状も作成してあるので東京地裁に郵送すればいい。なんか起きたら訴えてやろうと思って、全部印刷してうちに保管していたのね。
あとは深夜2時に電話でいきなり呼び出されたときの記録(さりげなく「今何時です?」なんて訊いて録音、と)、夏休みに1日29回も仕事に関する電話をかけてきた記録。(DoCoMoから取り寄せた通話記録)「休暇中です」って切ったら怒鳴り声が録音されていて・・・・


・・・もう本当に気が狂いそうになったから、鳴っている携帯を道路に投げ出し車を急発進させて、轢いて潰したことを覚えている。
それでも鳴ってたら悪夢だ。よく耐えられたなぁ・・・「通り魔事件」は起きなかったようだからまだ余裕があったのかな?


ほんと、あの頃はワインで酔いつぶれるか、ベゲタミンなんていう超強力な睡眠薬がないと眠れなかった。そして眠ると悪夢をみる→余計鬱になる、って簡単な構図だ。その頃は、ストレスと鬱、って社会であんまり話題になってなかったから黙ってたのかなと思う。そういや、大学のころ一般教養で「ストレスと自殺」なんてのを取ってたようなおぼえが。


そのあとの事故は私の責任だから仕方ない。無茶なスピードで走ってたからね。220キロの速度は狂気の凶器だ。
復職できたからまぁ、というところかな。しかしまぁ1年以上「兵糧攻め」で惨めでした。実際会社の裏では抹殺するつもりだったと思う。私が大騒ぎしなければ「休職期間満了」で「自然消滅」していただろうし。


休職手当で1年以上暮らしたんだからさ・・・・
はぁ・・・・。もう少しで「自己破産」するとこでした。講じていた保身策がないか、もうちょっと長引いていたらもう・・・・
「家を売る→そのお金も尽きる→保土ヶ谷駅で急行とケンカ」
でしたね。なんか生還しそうな気がするのは気のせいか?とにかく助かった。


しっかしまぁ・・・負け組の人生。
はぁ・・・・寂しい。悲しい。もうやだな、こんなの。
一生負け組なのかな・・・・


二十歳からやり直したいな。。。
私の20代は中世の暗黒時代のように悪いことばかりだったから・・・
あいにく、非常時に備えて倉庫にしまってあったドラえもんは、調子が悪くなったから22世紀に送ってしまったのでそれは難しい。


これは秘密にしていたのだが、うちの電話は円周率を15桁ダイヤルすると「もしもボックス」になる。ただしNTTからとんでもない電話料金の通知が来るのがネック。
ええい、みんなで!「3.1415926535897932384626」(あとはで忘れた。歳か・・)