憂鬱

Adagio2008-05-25



心の窓がすべて閉ざされてしまったような閉塞感に押しつぶされそう。
何をしても満足できない、どんな音楽を聴いても心はいまいち躍らない。
子供のような透明性のある心を持ちたい。


いっそう困るのは、何に不満なのかが分からないこと。
重い荷物を背負ったように、鬱屈とした気持ちが空気のように私の周りに立ちこめ、振り払おうといろいろ試しても空振りを続ける。
どのCDを聴いても、重苦しく聞こえる。


どうして。
どうして、憂鬱なんだろう、何が満たされないのだろう、何が足りないのだろう、何がいやなんだろう。
お酒を飲もうか、いや、飲みたくない。
時速300キロでもやもやした灰色の霧のようなものを振り切ろうか。いや、それすら面倒だ。
死のうか。いや、それも面倒くさいし、精神的につらい思いをしたくない。


こういうとき、思い切り泣ければいいのに、今日は何を考えても心が伴わず、涙も涸れてしまっているみたいだ。


逆に考える。
じゃあ、何が満たされているのだろう。
とりあえず、衣食住は問題ない。それと。。。それと。。。。。。


何も思いつかない。
生きることができているだけで、それ以上は何もない。


今日の陰鬱とした空のように、全身を包み込む不満に戸惑っているのだろうか。
それでいて命の危険にさらされていないから、生きている実感がないのだろうか。


あの頃もそうだった。
仕事のストレスがひどいとき。
命を感じるために、自らロシアンルーレットを回した。進んで危険に身をさらし、この命が薄氷の上にあることを感じたときに、生きていると実感した。時速200キロ以上で大型トラックのすき間をすり抜ける、その時に生を感じた。


でも今は臆病になった。
ロシアンルーレットが怖くなった。時速300キロが恐怖に感じる。たかだか飛行機が離陸する程度の速度なのに。それもあって、私は今生きている実感を感じられない。


いつ死んでもいいと、いつも思っている。
私のやらなければいけないことは、もうこちらの世界には何もない。ならば悩みの少なかろう向こうの世界に、早く、早く行きたい。しかし恐がりになったので自ら進んで、はできなくなった。八方ふさがりだ。


もういい、もういいからスイッチを切ってください。