夢九夜

第三夜

こんな夢を見た。


誰よりも業突く張りな医者だ。しかし腕はいいつもりだ。
診察をするときに黒いガウンを着るから、人は私のことを「闇の医者」だと云った。
この間も煙草屋の婆が「胸が苦しくてどうにも眠れない」というから薬を注射してやったらすぐに寝た。その後あの婆を見ていないが気のせいか。


ある晩私が寝ようとしているとドアを「こんこん」と叩く音が聞こえた。折角寝ようと思っていたところを妨害されたから無視しようと思っていたが、どこからか「今すぐドアを開けなさい」という声が聞こえたから、玄関に行って「おい、こんな夜更けにどうしたのだ」と尋ねた。そうすると「うちの子供が大変なのです」と、戸板の向こうから小さくささやく声が聞こえた。だったらもっと大きな声で云えと言いたかったが、仕方がない。ドアを開けて母と子を招き入れて、ドアをぴしゃりと閉めた。こんな寒いときに放って置くわけにもいくまい。


「何があったのだ」黒いガウンをまといながらその母に聞くと「昨日高熱を出したから、アセトアミノフェンを飲ませたら熱は下がったけれど、そのあと目を覚まさないのです。」とその母は答えた。「何で高熱を出したときにつれてこなかったのだ」と私は母にきつく言ったらその母は何も言わなくなった。その後何を訊いても黙りこくって答えない。仕方がないから子供を抱えて診察室に向かったら、診察室の明かりがついていた。「消しておいたはずなのだが」と私は訝って周りを見回したけれど、黙りこくってついてきた子の母しかいない。子供を一通り診るとどうも虫垂炎を患っているようだったから、母に、「今すぐ大きい病院に連れて行きなさい」と云うとどこからか「あなたが処置するのです」と聞こえてきた。母は相変わらず黙ったままだ。


仕方がないから私は黒い手術着に着替えて子供の腹を開けてみると、ひどい膿で唸ってしまった。これは間に合わないなと思ったけれど仕方がないから虫垂を取り除いてしまうと子供は見る見る顔色がよくなって、そのうちに目を覚ました。「おい、子供はもう大丈夫だ」と云っても母は何も言わない。仕方がないからレセプトを書いて母に渡して追い出した。


翌朝、母が金を持ってきたから、その二倍を持ってきなさいというと、半刻ほどで云われたとおりの金を持ってきた。子供は変わりないか、ときいても母は何にもいわないから黙って金をもらって早々に追い払った。


その晩から、まいにちどこかの母親が子どもが変だと云って連れてくる。太陽が東から昇って西に沈むとまた違う母親が子供を連れてくる。毎晩毎晩子供を手術していたらいつの間にか皺も深くなり、髪は白くなってきた。カレンダーを見るとはじめの子供をつれてきたときから三十五年が過ぎていた。ある日の夜から、子供をつれてくる母親は来なくなった。代わりに腰を抜かした爺が来るようになった。来る日も来る日も腰を抜かした爺を手当てしているうちにまた三十五年がたった。そろそろ私も引退しようとして看板を下ろした夜、今度は胃に穴が開いた若者が訪れた。「わしは今日限り引退したのだ」と云っても「でも先生に手当てしてもらわなければ死んでしまいます」とせがむから、黒い手術着に着替えて手当てをした。あとは他の病院を当たれと云って帰すと、それきり患者は来なくなった。


冬になって百歳の誕生日を迎えて、布団に転がって寝ようとしていると、七十年前と同じように戸を叩く音が聞こえた。もう起きる元気もなかったので無視しているとやはり「今すぐドアを開けなさい」という声が聞こえた。無視しているのになんどもとを叩く音が聞こえ、誰かの声が戸を開けるように要求する。仕方がないから、診察室に行って薬を注射すると声は聞こえなくなった。目の前で帳が下りていった。


その後、「闇の医者」を見なくなったが、気のせいだろうか。