夢九夜

第四夜

こんな夢を見た。


私は政治家だ。ある日、ある女が私の耳を掃除している。少し不器用なのか、わざとなのかは判らないが、しばしば耳の奥に耳かきを突っ込んで痛い思いをする。
「なあお前、そろそろ綺麗になったか」と訊くと首を振って「いえまだまだですよしばしお待ちなさいな」と答える。この問答を何度か繰り返しているが依然として女は「まだまだですよ」と答える。私は自分の耳がそんなに汚れていたのかと思っていやな気分になったが、いくら掃除しても出て来る耳垢を見て閉口した。女は私の顔を捕まえて一心に耳をほじっている。


「なあお前、なぜこんなにも耳が詰まっていたのかなぁ」と訊いたら、「そうねえ、体質でしょうねぇ」と要領を得ない答えが返ってくる。
「さあ、こちらは綺麗になりましたよ、向こうを向きなさいな」と女は私に指示する。私は云われる儘に女のひざの上で寝転がって向こうを向くと、庭に鳩が巣を作っているのが見えた。「おい、あんなところに巣ができているよ、知っていたかい」と訊いたら、「もちろんですとも、私はずっとこの家にいるんですから」と答えた。それからも何度か痛い思いをして耳かきを続けた。私はまた「そろそろ綺麗になったか」と云うと「せっかちですねぇ。お待ちなさいな」と女は答えて、丁寧に耳掃除を続ける。半刻ほども経っただろうか「さああなた、終わりましたよ」と半分眠りかけていた私を揺り起こして云った。


そうか、それにしても私の耳はずいぶんの詰まっていたのだな、と思って女のほうを向いたら、卵のようにつるんとした顔に笑みを浮かべて「でも大丈夫、これでよく聞こえるようになりますよ」と云った。女の声もさっきまでと違って張りのある気丈な雰囲気の声に聞こえた。庭のほうを見ると、鳩が歩く音まで聞こえてくる。ずいぶんと耳がよくなったものだな、と思った。夕刻だったので、そろそろ食事をしようとしていたら、庭のほうが騒がしい。何事かと思って行って見ると、鳩の巣から雛が一匹落っこちてぴいぴいと声を立てている。可愛そうだったから両手で包むように拾い上げて巣に戻してやった。
部屋に戻ってみるとさっきの女はいなかった。


食事を終えて、外を散歩しているといろいろなところからいろいろな音が聞こえてくる。川のせせらぎに耳を傾けると右の耳と左の耳では違う音が聞こえて不思議な気分になったものだ。異なるテンポのメロディが重なり合って、公倍数のリズムで左右のせせらぎのメロディが重なった。またあるときはせせらぎのリズムがワルツのテンポに聞こえて自然と「ウィーンの森の物語」を口ずさんだりした。とにかく、すべての音が、リズムと音階を持っているように聞こえてきた。「これは楽しいなぁ」と思って散歩がてら町に向かって歩いていると右の耳にはネコの喧嘩の声が聞こえ、左の耳には酷い夫婦喧嘩の騒音が聞こえてきたりした。それらがすべて音階とテンポを持っていることに気づいて目からうろこが落ちるような気分であった。それからは散歩のたびにタクトを持って出かけることにした。雑音を目の前にしてタクトを振っていると、自然と音楽に聞こえてくるのが新鮮だった。


悪いのは夜であった。寝よう、寝ようと思っても何かしらの音階とテンポが聞こえてきて眠れない。こおろぎの音がラップに聞こえたり、左右で共鳴する木々のこすれる音がステレオで耳に入ってくる。仕方がないから睡眠薬を飲んで寝ることにした。辛いのはこのときであった。あの女が夢に現れてこう問いかける。「あなたによく聞こえる耳を与えた理由がわかりましたか」「なぜ、よく聞こえる耳を与えられて悩んでいるのですか」と問いかけるから私はその女に「こんなにもよく通る耳では日々参ってしまう。元の耳に戻してくれ」と云うと女は切れ長の目をきりりとこちらに向けて「それがあなたの業なのです。まともに使いこなせるように頑張るのですよ」とそっけなく云って去っていった。


私は何のことだかわからなかった。しかし毎日散歩を続けているうちに面白いことに気づいてきた。路肩の岩、ガードレールのへこんだところ、枯れゆく木々の葉っぱから音が聞こえてくる。たとえばへこんだガードレールは痛そうなとげとげした音で私の耳に語りかけてくる。岩は寂として低い唸り声を上げている。そのとき通り過ぎた町民から「今の世の中は狂っているなぁ、何とかならないものか」と声が聞こえてきたから振り返ったら町民は黙々と歩いているだけだった。


ある日、私は人が溢れる町の市場に出かけていった。耳ではない、頭の中に電波のように町民の嘆きが聞こえてくる。多くは経済に困窮する嘆き出合ったりしたが、政治家である私に対する怨嗟の声が少なからず聞こえてくる。
私は嫌になって家に帰り、庭に向かって茶を飲んでいると鳩の巣の方から「一寸おいで」という声が聞こえてきた。行って見ると、羽がしっかりできた小鳩がえさをもらっている。茶色の羽をしているから、私が拾い上げた雛だろうと思った。「有難う」と親のキジバトから声が聞こえてきた。けなされ続けた後に真摯な感謝をされた私は涙を堪えながら巣から離れた。


私は政治を行った。今までとは違う政策を掲げて、法律を作った。
それから、町を歩くと私に対する怨嗟の声は聞こえなくなった。猫の声は猫の声、木々のせせらぎは雑音に聞こえるようになった。鳩の雛の声も聞こえなくなった。その晩、私が寝入ろうとしていると枕元にまたあの女が現れて、私の額に手を置いて微笑んだ。女の手は暖かかった。しかしどうもさわられている感覚がなかった。
「また耳を掃除してくれるのかね」と訊くと女は切れ長の目を夜空に向けながら「いいえ、私にはやらなければならないことがあるから、あなたとはお別れ」と云った。「しかし私のことを忘れないように、床の間の掛け軸を変えておきましたよ・・」そこまで訊いたところで私は眠りに落ちた。翌朝今の床の間を見ると、極彩色の着物をまとった妖艶な、唇が光っている女の絵が飾られていた。私は飼っているネコがしゃべらなくなったのが残念であったが、しゃべらないからこそ、ネコの気持ちがわかるようになった気がした。町民も同じだった。


●ほら、やっつけで30分で書くとつまらないじゃん。なので、ネタを吟味して作文します。ネタ提供大歓迎。次は現代〜近未来を舞台にして書こうかと思ってます。文学部とかに行っておけばよかったな、もう。