夢九夜

第七話

こんな夢を見た。


秋も深まった木立の中を歩いていた。風が冷たいので、トレンチコートの襟をしっかりと閉めてポケットに手を突っ込んで下を向いて歩いていた。寒風に木々はざわめき、路上の落ち葉は舞い上がった。寒いのは苦手な私であったが、仕方がない。今日やらなければならない用事があった。


そのまま静々と歩いていくと、コンクリート作りのビルディングにたどり着いた。またあの爺と言い争わなければならないと思うと閉口したが私は屹立として、爺の部屋のドアをノックした。
「また厚かましいお願いをしに参りました」私が言うと、爺は私の言葉など聞いてもいないようなそぶりで「まだ来るのか。そろそろ諦めたらどうだ」と居丈高に返事をした。「しかし、あの食器は・・」私は言い返した。爺は本当に仕方がないという渋い顔をして、言った「なぁ、君。そろそろ昔のしがらみにとらわれるのはやめにしようじゃないか」と返答する。


私にはかつて妻があった。とても美しい、心の優しい妻だった。その妻が、外国に行ったときに、珍しい食器と洋銀のフォークやナイフを買ってきた。以来、私は妻とともにその食器を使って食事を楽しむようになった。器がよいと、下手な料理は作れない。私たちは毎回何か工夫をして、一風変わった料理を作り、お互いに大いに楽しんだものだ。そんな思い出のこもった食器であったが、妻は翌年に白血病でなくなり、私の仕事もうまくいかず、仕方無しにこの食器を売りに出したのだ。大層珍しく、骨董としても価値がある器であったため、たくさんの人が訪れて、食器を譲ってもらえないかと聞かれたものだ。


私は、仕方無しにこの食器を売りに出すが、条件をつけた。それは、年に一度、妻の命日に食器を貸し出してほしい、というものだった。面倒な条件で、食器を買いたいと云ってくるものはほとんどいなくなったが、この爺は「それでもよい、これらを譲ってくれ」といわれたから、私はその爺に食器を譲り渡した。それから何年もの間、命日になると食器を借り出して、妻の仏前に備えたものだ。そんなことは私のセンチメンタリズムであることはわかっていたのだが。


食器を貸すのは今年で最後にしてくれ、という旨を爺が頼み込んでくるので、来年はこの食器を借りられないかと覚悟したものだ。爺のいうことももっともで、所有者が貸したくないなら貸す必要は無いのだろう、ということは素人の私でも漠然として理解した。そして翌年になった。器を借りるわけには行かなかったから、私は粗末な器に、丹精込めて炊いたご飯を盛り付け、魚の造りを添えて仏前に供えた。「すまないね、こんなに粗末なものしか君にあげられなくて」「いいえ、あなたが丹精を込めて作ってくれた、初めての食事じゃありませんか」私は仏壇を覗き込んで問うた「どうだい、味のほうは」と聞くと、「とてもよい味ですよ。こんな料理が作れるなんて、知らなかったわ」と答える。「そうかね、それじゃあよかった」私は安堵して、自分の食事を平らげた。


それからは毎日、自分で作った食事を、仏前に供えたが、亡き妻の声は聞こえてくることはなかった。期待を裏切られて大層がっかりしたが、命日の晩に少しの間でも亡き妻と話すことができたのでこれで満足とするべきだろう。来年の命日には、ちょっと小洒落たメニューを備えようと思っている。それで妻の声が聞こえようと、聞こえなかろうと、先日の出来事は私の心の中に妻をよみがえらせてくれた。それがうれしくて、うれしくて、うれしくて・・・・私はこの後も妻が私にかけてくれた言葉を、大切にしようと思った。思い起こせば妻が生きているときには、妻の言葉は話半分に聞いていたことを思い出して、大層悲しい思いが浮かび上がってる。