あぁ・・・・
ふたご達が小学校に入る年だ。
でも私はみられない。とっても悲しい。
写真立ての中で同じ顔をした赤ちゃんがこっちを向いて笑っている。これが私にとっての彼等の姿。どこかに連れて行くとぱぁっとすっ飛んで走り回る小さいふたごの姿が目に浮かぶ。
いいんだ、思い出は美しく。
でも、小さなふたごが同じ顔をして、大きなランドセルを背負っている姿が見たかった。本当に見たかった。
年をとって、私が一人で死を迎えるときを想像する。見守る人もいない、最後の言葉を語りかける相手は神のみ。
そして、1週間後くらいに遺体で見つかる。それを想像するととても悲しい。
二人も子孫を残しながら、生き別れになるなんていつ思っただろうか。
すべての発端はあの事故。
まだ精神錯乱が残っているのに、大学病院は退院させた。私は手も足も動くし喋ることもできた。精神が錯乱していたためキチガイだと思われた。
それで、一度誓った夫婦は終わった。子どもとも会えなくなった。
その後2〜3ヶ月して、主治医のおかげで精神の安定を取り戻したとたん悲しくなった。治れば治るほど悲しみは倍加した。
孤独。