夢九夜

第二夜


こんな風景を見た。

豆腐屋が走っていた。岡持ちにはたくさんの豆腐が入っているようだ。

私がその走る音を聞いて振り返った刹那に豆腐屋は大きな岩に躓いて転んでいた。あんなに大きな岩なのになぜ避けなかったのだろうと私は訝ったが、人なんてせいぜいそんなものと思ってがっかりとした。
しばらく見ていると、豆腐屋は小僧たちに両手足を捕まれて運ばれていった。
「あれれ、死んでしまったのか」
岡持ちだけが取り残された岩のもとに近づいて、地面を見るとたくさんの血が流れていたから、これはフェータルなものかもしれないな、と思いつつ私は岡持ちを開けて崩れていない豆腐を自分のたらいに入れて家へ帰った。


その晩は熱帯夜だった。やりきれないくらい蒸し暑くて、セミの音が騒々しかった。
たらいから豆腐を取り出して、醤油としょうがを添えて食べると大層よい香りがした。
「これはきっと名のある豆腐屋に違いない」と思い起こしてみると、この街には豆腐屋が二つあることを思い出した。片方の店はべらぼうに高いがうまいという噂だった。

私は、「これは御代を払わねば」と唸りながら小僧を呼んで、「豆腐屋の藤原にこの金を渡して来い」と云った。小僧は「たかが豆腐にこんなに払うのですか?」と驚いていたがしかたない。私が火事場泥棒になったようで気分が悪かった。


一刻もたっただろうか、小僧が帰ってきて「旦那様、豆腐屋の藤原の息子は目を覚まさないようですよ」と云った。「ではせめて線香でもあげに行こう」と云って着替えている最中、豆腐屋が毎日えらい勢いでお城から階段を駆け下りてきていたことを思い出した。


しばらくすると、その階段をえらい勢いで下りてくる娘を毎日見るようになった。しかし毎日娘の顔が違うようだ。今日の娘は昨日の娘ではない。明日の娘は今日の娘ではない。

そんなある日 、藤原の家から例の岡持ちが目を覚ましたと聞いた。
それからは、毎日入れ替わる娘を見ることはなくなった。代わりにすべるように階段を駆け下りる、藤原の岡持ちを見るようになった。私は、見かけるたびに豆腐の代金を払おうと思ったのだが、どうもタイミングが悪い。あるときは豆腐屋を見つけたとき、豆腐屋の岡持ちはある女と諍いの最中であった。あるときは片足を溝に突っ込んでひいひい言いながら走っていた。


そんなある日、藤原家から小僧が来て、豆腐の代金を払えというから、代金を払った。それから先、走りおりてくる岡持ちを見ることはなくなった。藤原家から訃報が届いた。やはり怪我はフェータルなものだったか。なにか狐につままれたような想いだったが、私は豆腐の恩を返すために線香をあげにいった。それからは岡持ちの娘も、藤原の息子も見ることはなくなった。何でもお城ではこれから豆腐はやめて大豆イソフラボンのドリンクを飲むことに決めたと伝え聞いた。この話を聞かずに藤原の息子が逝けたのは僥倖かもしれないと思った。