本人のブログの存在意義

さて。障害を負った本人の綴っているページはいくつもあります。
これらの存在意義は?


価値はあると思います。なぜなら、外面から症状などを認知することは難しい。たとえPETやfMRIを駆使しても全部はわからない。私の場合、PETでもfMRIでもまず見つからないでしょう・・とDr.に言われましたし・・それでも発生するさまざまな症状や、それから派生する困難や苦労を表現することは、社会的意義のあることだと思っています。


先日、病院でリハビリ指導を専門になさっている方からメールをいただきました。
ご自身が担当されている患者さんの内面の苦痛、気持ちに関しては手探りで、なかなかわからない。そのために力になれていないのでは?という(ちょっと変えていますが)内容でした。
そのほかにも患者の家族の方々からいろいろと質問などをいただくこともあります。
あと、驚いたのは、脳外科のDr.からメールをいただいたことです。手がけている救命医療の後にも、大きな障壁があることを重く捉えられたそうです。

こういったご質問などには、私は真摯に答えることにしています。


こういった医療従事者、一番大きいのは患者と生活を共にする家族。
そのような方々に少しでも、濃度は薄くても情報を提供できていた、ということは喜ばしいことです。そういった関係者の方々が発端となって、社会的に広く認知されていけばいいな、と願っています。こういったことは草の根活動から始まるものです・・
私の些細な情報発信が、多少なりとも社会的意義を持っている、と感じてうれしく思いました。


※おまけ
一度、あまり知らない雑誌から取材依頼を受けたことがありますが
「私のコメントから、あなた方はどのような帰結、活動をするのですか?」
と聞き返したところ、いい加減だったので興味本位と思って断りました。たしか、脳科学の視点から高次脳機能障害を考えていたころです。