愛を乞う人 9 〜雑踏の中で〜


「そこを行くあなた、私が次の瞬間死んでしまったら、どう思うかな・・・?」
夕方の新宿で、行き交う人たちに心の中で話しかける。

「・・・え? そりゃあ、びっくりするさ」
そうだよね、目の前で人が死んだりしたら驚きますよね。


でもそれはその日の夕食や、翌日のお茶の間でちらと話題にするだけで、あなたの心からは雲散霧消していくのですね、なんの後も残さずに。そしてそれから後、私がいたという証拠は、死亡診断書とともに電磁的記録となって、役所に残ることになるのですね。


その後、私の名は誰の目に触れることもなく、1億3千万の名簿から一つが消えていくのですね。末期の時を迎えたとき、私は文字通り1億3千万分の1になり、その後は、「0」になります。
私は何もスペシャルな存在ではないから、ゼロになります。
宇宙の時の流れに、ほんの一つの点をうがち、その後は何も残りませんね。


でも、そんな人はいくらでもいて、私はその中の一つに過ぎません。
翌朝になれば日が昇る、それはもっと、もっと大きなもので私などミクロの1。量子論で言えばプランクサイズにも等しい存在でしょう、でも・・・


「でも?」
今度は雑踏の中に立ち止まって、ふと考える。
でも、なんですか?私は今度は自らの中に存在する、意識に問いかける。声には出さず、ただ目を閉じて、こころでこころに問いかける。
我思う故に我あり、もちろん私はミクロとはいえ存在している。そして・・・


そんなミクロな私がある人にとって必要と思われたこともあった、そんな記憶をたどる。記憶はないけれど、私が生まれたとき、とても小さな私は、両親にとって何よりも特別な「人」だったでしょう・・
誰かに愛されたとき、きっと分母は1億3千万ではなくて、2、であったでしょう・・・


そんなことを想っていると、1億3千万という数が、とてつもなく大きな数に思えてくるのです。もっと・・・


そんなことを考えてしまう私は贅沢なのでしょうか。
生まれ出てきたときから、その存在する意味を考えはじめているのは贅沢なのでしょうか。誰かにとって特別でありたいという欲求はとても贅沢なのでしょうか・・・


目の前のコップ一つの中の空間で、瞬くほどの一瞬の間に、数え切れないほどの物質と反物質が生まれ、対消滅を繰り返していく。
宇宙では、私の推し量れる限界を遙かに超えたタイムスケールで、超新星が生まれ、そして燃え尽きていく。銀河が生まれ、背景輻射という熱となって消えていく。


そんな量子たち、星、銀河たちは何も不平、不満をわめき立てることなく生まれ、消えていく。
そんな中、たかだか100年も寿命のない私が贅沢なことを望み、それがないことを嘆く。
私だけではない、多くの人が同じ欲求を持ち歴史の中に消えていく。
小さな人というのは、なんて欲深いのだろう。


17年の命を持つもっと小さな蝉が、地上に出て一瞬の間に大きく泣き叫び、死んでゆく。
大きな人というのは、なんて欲深いのだろう。


そして明日も贅沢な私は、行き交う人たちに問いかける。

「私は、必要ですか?」
「私は、あなたにとってどんな存在ですか?」

と。


そして明日も私の心の声は、港町の空間の中にわずかに響いて消えていく。
そして夜を迎え、日はまた昇る